講師紹介

講師紹介

吉田 日実子

Liebe Musik 代表
出身群馬県高崎市
趣味旅行、温泉、ピラティス、美術館巡り
好きな言葉未来とは今である

プロフィール

シャイだった幼少期

兄が頭良く、よく喋る子供だったせいか、
私はどちらかと言うと無口で、いつもムッとしている
表情があまり無い子供でした。
2人目特有の自由奔放なところもあり、
お友達に嫌な事や気に食わないことをされると、
無口で相手を引っ掻いてしまうような狂 暴な一面も。。

母は何を考えているか分からない私が、
どんな子供になっていくか少し心配していたようです。

ただ、ピアノ、音楽には興味を持ち
ピアノを弾くことが大好きでした。

私がピアノに興味があると気が付いた母は
幼稚園 に行く前に毎日30分から1時間、
ピアノの練習に付き添ってくれ厳しい時もありました。
練習が嫌になり楽譜をゴミ箱に捨てた事 も
何度かありましたが、ピアノがやっぱり大好きで、
泣きながらゴミ箱から楽譜を取り出して
練習に向かったのを覚えています。

レッスンではピアノ先生が優しく大好きだったので、
ピアノを楽しく続けることができました。

練習のお陰もあり、ピアノ教本が
夏休みに1冊終わってしまうほど早く進み、
段々人前で演奏することが好きになりました。
きっと兄には出来ない、自分の得意なことで
皆から褒められること、注目されることが
嬉しかったのだと思います。

小学生時代 打って変わってひょうきんに!?

ピアノが得意だったお陰で、
音楽室のピアノやオルガンでいつも
お友達に囲まれながらピアノを披露していまし た。
そうしているうちに小学校では人気者になり
人を笑わせるのが好きなひょうきんな子供へと
変わって行きました。

教室の外に置いてあったオルガンで作曲をし、
友達と歌詞を付けて遊んだり、それに合わせて
踊り を作って踊ったり。。
国語の教科書に出てきた詩をラップにして
歌って楽しんだり。。

学校から帰宅し、山田今次作詞の「雨」という詩を
ラップにして歌った時は、
家族皆がお腹を抱えて笑ってくれました。

いつもそんなこ とをしていたので、
3年生の年度末の文集の最後に先生が私の曲を
載せてくれました。曲名は「変人」!!
当時は文集に載り嬉しかったのですが、
今では少し恥ずかしい思い出です。。
ひょうきんにも程がありますね。

この様に自由に作曲やリズムで遊べた のは、
ピアノのレッスンと同時に、
ソルフェージュ(桐朋の音楽教室)レッスンを受け、
聴音、セオリーを学んで耳を鍛えていたお陰です。

そして5年生の時に習っていた先生が、
音大受験をする高校生と、私で
「ジョイントコンサート」を企画してくださ り、
ベートーヴェンソナタ、シューベルト即興曲や
ショパンのワルツなどを披露しました。

またこの頃初めてコンクール(群馬県コンクール)
に挑戦し、小学生高学年の部で「優秀賞」
を頂きました。

新しい世界を見た 中学生時代

小学6年生の時に、今まで習っていたピアノの先生から
新しい先生(桐朋音大出身)を紹介され、
環境がガラッと変わりました。

以 前はとにかく楽しく自由にピアノを弾いていましたが
音作りをより大切にする先生に変わり、
弾いていた 曲も一段階低くされ、
テクニックは初歩から始り、ショックを受けました。
最初は「なんでこんな簡単な曲から!」
と戸惑いを隠せずにいましたが、
レッスンを受けてるうちに、
どんどん自分の演奏が変わって行くのを感じられ、
より音楽を深く学んでいる感覚、
新しい世界を見ている感覚に感動、
そして音色を作る楽しさを知りました。

「先生との出会いって大切だ!」

と心から感じました。

また恩師は中学2年生の時にドイツでのセミ ナー
に誘ってくださり、初めてドイツへ。。
仲の良いピアノの仲間達と
ピアノの レッスンを受けに行き、
見るもの、言葉、空気、ピアノの音色、、
全て初めての事ばかりで
刺激的な中学時代を過ごしました。
この時から海外への憧れが生まれました。

耳だけ肥えた兄との中学時代!?

小学生までピアノを習っていた兄ですが、
私の影響もあってかクラシック音楽が大好き。
ピアノは上手くありませんが、
耳だけはとても良い・・

また大変な事にシスコンなので
ピアノの練習にも干渉され、、、
中学の頃は自宅の練習室でピアノの練習をしていると
急に扉が空き「音が硬くて微妙!」
と言い捨てて出ていった事もありました。。
弾けないくせに的を得ているからさらにイライラ!

そしてチェロにずっと憧れていた兄は、
大学に入りチェロを趣味として始め、、
兄の結婚式ではチェロとピアノで
ミスチルの曲をアンサンブルしました。
そんなシスコンでうるさい兄は
今では人を救うドクター。
そしてクラシック音楽をはじめ、
音楽全般を語り合える良き相手です。

高校時代 ~良きライバルそして一生の友達~

ついていたピアノの先生が
地元の音楽科のある高校で教えてらっしゃったので、
その高校を希望して受け ました。

音大を目指す友達と切磋琢磨する毎日。
特に朝練ではレッスン室の取り合い。
友達に「ひみちゃんは家で朝練出来るんだから
学校で練習しなくていいでしょ!!」
と泣きながら怒鳴られたことも。。

ピアノ曲も「ショパンのバラード」や
「シューマンのファンタジー」など内容も
テクニックも難しくなり自分に自信が
持てなくなった時も沢山ありました。

個性の強い音楽科の友達とは思春期真っ只中で
激しいぶつかり合いもありましたが、
全員が音大へ進学でき、
苦しい時期を乗り越えることが出来ました。
そして今ではピアノ講師として、また演奏家として
信頼して相談出来るかけがえのない友達です。

留学したきっかけ

自分が目標としていた東京音大に入ったものの、
次の目標が中々見つからずにいました。
高校の頃より練習が少なくなり、
中学、高校の教員免許をとり、
なんとなくレールの上を歩いて生活していましたが、
ある日海外に音楽留学し、生き生きと演奏している
友達の写真をSNSで見つけ、
「自分はこのままでいいのだろうか。。」
と思うようになりました。

その後その友達とコンタクトを取り、話を聴くうちに
「私も中学の頃ドイツへ行った時のような
新しい環境が欲しい!」
「自分の知らない世界を見たい!」と思い、
思い切って留学を決意。
また学費もビックリするほど安い(半年8万円程)
ことも決め手でした。

日本の大学時代は大学まで
電車通学だったほどの箱入り娘でしたが、
留学してからは真逆の生活になり、
何でも自分で切り開かなければならない状況に。。

大学にメールを打つのもドイツ語で、
受け付けや資料を提出するだけでも
本当に大変でしたが、友達の手 伝いもあり
何とか手続きが出来、
入学試験を受けることが出来ました。
そして入学する事が出来、
自分で切り開い た感覚が新鮮で楽しく、
毎日がモノクロからパステルカラーとなって行きました。

モーツァルテウム音楽大学時代 ~苦戦の毎日~

ピアノの先生はアメリカのジュリアード音楽院出身。
ロジーナレヴィーンという「ヴァン・クライバーン」
あの「中村紘子」さんという名だたるピアニストを
育て上げたロシア人ピアニストから
師事を受けておられた先生です。
先生の奏法は指を伸ばして重力を上手く使った
「ロシア奏法」でした。

留学当初は自分が習ってきた奏法と違い、苦戦の毎日。
でも先生の奏法でドビュッシーの「水の反映」
を弾いた時は、自然な音色の響きが出ていることに
驚きました。

そして日本の大学では1つの曲を長く持っていましたが、
モーツァルテウム音楽大学では沢山の曲を
レッスンに持っ て行かなければならなく、
進みも速い、発表会も沢山あるので、
付いていくのに必死、劣等感を感じる中、
1年ほど泣きながら、悩みながら
がむ しゃらに過ごしました。
音楽性、テクニックの豊な学生がゴロゴロといて、
自分は井の中の蛙だったと実 感しました。

そんな中でも、先生はとても気さくで
レッスン終わりにカフェに一緒に行ったり、
発表会後は先生を交えて飲みに行ったりと、
生徒でありながら一人間として接して下さいました。

異文化シェアルーム

留学した当初はイタリア人、メキシコ人×2、
イスラエル人、日本人×2と7人で
部屋をシェアしていました。
特にメキシコ人は乗りがよく、
週末になると友達を呼んでパーティーを開きます。
パーティーに来るのは大学で名の知れるのギタリスト
そして大学で1番の打楽器科の友達。
パーティーでギターを取り出し演奏、
すると打楽器科の友達が家に置いてある箱を
適当に叩き出すのですが、それが最高の演奏!
その場は一気にメキシコと化しました。

周りの友達は2人を囲みながら持参した
タンバリンを叩いたり、歌ったりと。。

その場で生まれる即興の音楽が
とても生き生きしていて、
こんな音楽の楽しみ方があるんだ!
とカチカチのクラシックの中生きてきた私には
衝撃的な体験でした。

それからはロックやクラブ音楽にハマったりと。。
音楽の幅が広がりましたし、
踊りも大分上手くなりました。

留学裏話 オーストリアの美容室にて

日本に一時帰国するのは年に1度。
留学中にイメチェンをしたくなって、
美容院でふんわりパーマをかけてもらうはずが・・
なんとゴスペル歌手の様な
「チリチリのスパイラルパーマ」!!
になってしまいました。。

大学に登校する勇気がなく
しばらく家で涙を流していました。
外国の友達には素敵!と言われましたが、
日本の友達にはには爆笑される毎日でした。
海外の美容室は本当に要注意です。

イタリアのコンクールで1位獲得! ~挑戦する大切さ~

オーストリアの夏休みはとても長く、3ヶ月あります。
その間にヨーロッパを旅行したり、
ザルツブルグ音楽祭を聴きに行ったり、
様々なサマーセミナーや、コンクールを受けたり
出来るのはヨーロッパ留学の醍醐味でもあります。

モーツァルテウム音楽大学で苦戦しながら
過ごしてきた毎日でしたが、
夏休みに自分を試したくなり
コンクールを受ける事にしました。
丁度自分が持っている45~50分プログラムで
受けられるコンクールを探して応募!

まずスペインでのコンクールでは、
まずまずの出来だったけれど予選落ち。
次にイギリスのコンクールでは、
まさかの沢山のミスタッチで選ばれず。。

でも諦めず南イタリアのコンクールへ。。
イタリアでは現地に行くためのバスが中々来なくて、
3時間ほど待たされてたりと、イタリアの交通便の
悪さにヘトヘトになりながら到着しました。

演奏は翌日。。
前日にそのようなことがありましたが、
気持ちを切り替えて演奏に望み、バッハのトッカータ、
ベートーヴェンソナタ、ショパンのバルカローレ、
スクリャービンのソナタなど、総演奏時間45分、
弾き切りました。私としては、渾身の出来。
気持ちよく弾けたので「賞はどうでもいいや!」
と思っていましたが、大人部門の授賞式で
自分の名前が呼ばれた時はビックリ!
なんと1位を頂けたのです!!

「上手く弾けた」と思った時よりも
「気持ちよく弾けた!」と思った時の方が
人に伝わる演奏が出来ているのかもしれません。
諦めなくてよかった!これからもっと頑張りたい!
と思う気持ちが沸いてきたのを覚えています。
自信にも繋がりました!

日本に帰国して教室を開くまで

コンクールを経験し、大学院卒業コンサートが終わり
その後群馬に帰国しました。
初めは演奏活動を中心にし、幼児1人、受験生1人しか
教えていませんでした。

子供はあまり好きではありませんでしたが、
姪が出来てから考えが一変!
姪が可愛くて可愛くて今では大の子供好きに。。
隣に住む姪にレッスンをしてあげたり
接したりするうちに、子供の無限の可能性を感じ、
また教育に関心を持つようになり、
「もっと後進の指導にも力を入れたい!」
と思う気持ちが沸いてきました。

そういえば「小さい頃はピアノがあったから
人気者になれた自分がいたな」と思い出しました。

ピアノを通して自分を表現したり、
ピアノを弾けることで自分に自信を持てたり、
葛藤を繰り返しながら乗り越えながら
新しい自分を見つけることが出来たり。

必ずしも将来ピアノの道に進まなくても
ピアノを通して得られることは人生に必ずプラスになる!

そんなピアノの素晴らしさを伝える為に
これまでの国内外での経験を活かし、
そしてこれからも勉強をしながら頑張る毎日です!

経歴

  • 高崎市生まれ。幼少より種井幸子氏に師事。東京音楽大学にて三浦捷子氏、稲田潤子氏に師事し、ピアノ専攻卒業。
  • その後ザルツブルグに留学、モーツァルテウム音楽大学大学院にてジョージ・カーン氏も下で研鑚を積み、同大学院を優秀な成績で卒業。
  • 2014年夏、イタリアで開かれたサンジョヴァンニ・テアッティーノ国際ピアノコンクールにて第1位を受賞。同コンクール受賞者コンサートに出演。2014、2016年に開かれたモーツァルテウムオーケストラ主催の室内楽コンサートに同楽団員(現ゲヴァントハウスオーケストラ団員)主席ファゴット奏者リッカルド・テルツォ氏と共演。
  • 2017年に開催されたJPCジャパンピアノコンペティション審査員を務める
  • 2017年、ヴァイオリニスト井阪美恵と帰国ジョイントコンサートを開催。これまでにミヒャエル・シュナイト、ジャック・ルヴィエ、アヴォ・クユムジャン、アルヌル・フォン・アルニム、オリヴィエ・ギャルドン、アンドレアス・フリューリッヒ各氏のマスタークラスを受講、研鑚を積む。
  • JPTA 公益財団法人日本ピアノ教育連盟会員。群馬日欧交流協会会員。

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